チョットひとこと 第15話

明けましておめでとうございま~す! 2005年がはじまりま~す!皆様はどんなお正月をお過ごしだったでしょうかぁ?!私はまず、友達からHPの“ちょっとひとこと”が12月31日までずーっと秋から変更されていないじゃない!のお叱りから始まりました。本当に反省反省です。ごめんなさいねぇ。はっと気が付き、原稿を送ったのが12月25日。もうHPの会社では変更不可能で、新年の仕事開始日となったわけです。ごめんなさいねぇ! さて、新しい言葉といってもその暮れの原稿が自分ではなかなか気に入っているので、やっぱり載せることにします。強引ですが・・・読んで下さ~い!

【9月は、あの暑さを何とか切り抜け、故郷秋田の太田町の東小学校と小坂町の小学校に「ようこそ先生!スペシャル講座!」の講師で伺いました。なんと衝撃的で感動的な初体験だった事か! 体育館で全校生徒とPTA、先生達に香津代がどうして表現という仕事を選んだかのお話をし、その後、学年ごとの教室でお稽古してもらっていた詩、物語、劇をやってもらい自己表現を深めるためのアドバイスをしていくという授業です。子供を生み育てた事のない香津代にとって子供は面白く、おかしく、鋭く、傷つきそうで、壊れそうで、恐いものでした。笑ったり、困ったり、どうしようと思ったりの連続。別れるときは一日の出会いだったのに、もう情が移り、またこの子たちに会いたいと思ったのでした! 朝、体育館の壇上に立ち、全校生徒が校歌を唄って歓迎してくれた時に涙がグィーンと出たのです。ちょうど、テロのロシアの学校占拠事件があったばかりでしたので、“まだ日本は安全だなぁ! こんな状況の時、ドッドドーとテロリスト達が入って来たのだなぁ!と。この子たちは日本の宝物、素敵な生命(いのち)!どうか、スクスク育って、このたいへんな世界を日本を生き抜いていってほしい!”と、一人一人の子供が愛しくて、愛しくてたまらなくなったのでしたぁ!香津代の小学校時代は授業で教科書を読ませられてボソボソ、タドタドの棒読みでしたけど、今の子はスラスラと達者に読むのですね。きっとテレビで人々が達者におしゃべりするのを見、耳慣れもしているのでしょう。でも、なんだか自分の声が心を素通りしていってるみたいで、自分以外の事に立ち止まり、心を砕いていない・・・というか、自分と活字がまったく会話していない・・・そんな子も多かったです。でもハタと思いました。私もだ!・・・・・私も素通り症候群だ!と。そういう大人が多いような気がします。教師のお仕事の難しさ、大変さ、深さ、そしてその喜び・・・・・とてもとてもすごいお仕事だと今さらながら認識しました! あの子たちが私の芝居を観、感動してくれる日が必ず来る事を信じて、また努力の日を歩こうと帰りの道々言い聞かせたのでした!

9月はもうひとつ楽しいことがありました。3日間ですが、秋田市建都400年記念事業『日本海北前航路の客船「飛鳥」でのクルージング』に乗船。何十年振りかで会う故郷の知人、新しい出会いの方々と秋田弁で飛び交うおしゃべりが嬉しく、初日の香津代のトークと踊りのコーナーにもいっぱいの方の参加で楽しく血の騒ぐ3日間でした。
そして帰京後、10月の舞台「暴れん坊将軍スペシャル」の稽古突入。“マツケンサンバ”の流行も重なり、初日から満席! 大フィーバー! 2000人の客席が毎日ほぼ満席の活気づいたひと月公演! 今さらながら松平座長の天の才そして、努力の凄さに敬服です。ひたすら無事故を願いながら楽しい充実した毎日でしたぁ! この公演の最中16日に、中学校(秋田大学学芸学部付属中学校)の同級会があり、今年は還暦を祝うという特別な年なので、九州、関西方面に住んでいる人も来やすいようにと東京が会場。香津代は夜の部終演後、超スピードで化粧を落し、楽屋から飛び出し、車の拾える大通りまで走り、三次会の品川の会場に着いた時はまだ舞台の汗が引かずダラダラ・・・。出席の40数名はもう昼から興奮の渦の延長にお酒も入りガヤガヤワイワイ“浅!待ってたよ!”とみんなに拍手で迎えられ一言挨拶。中学からまんま変わってない人、よーく知ってる同級生のおじさんかお父さんかな?みたいな人、アレッ?この人、あの人誰だっけ?という人。様々な顔々! エーッ?相沢の相ちょ? ウッソー! 小林のバヤシ? キャーッ! 小野ブー? もしかしてウサ? のり! 葉っぱ! タコ! エイジ! 倉! 斎さ~ん! サッコ! アマ! ネコ! トキ! と次々に思い出の顔と重なり、気分は興奮のストップモーション! 常夫ちゃんのメッセージが、素晴らしいので中抜きで載せますね。「附中13期のみんなの様々なパワーに出会い、人生こんな仕掛けで出会いが広がると知った。学窓を離れ、もう何十年もたってるのに同級生に嬉々とし、終わってもこんな余韻に浸るというのは何だろう! 懐かしさが込み上げて来て、相手構わず話題選ばずしゃべった。2次会も興奮状態。3次会に浅利さんが駆けつけ最高潮に達した。大阪勤務の折、たまに来る浅利さんの舞台がどんなに楽しみだっかか! その終演後の集いも興奮状態。それは勿論浅利さんという一級品の舞台女優の素晴らしさではあるが、彼女のひたむきな、前向きな、人を思いやることでは天下一品!の故でもある。私は自閉症の子とうつ病の妻を抱えているけれど、結構楽しい日々も多いと思っていた。けれど、同級生に会って何かを分かち合えると知ったのも大きな幸せだったと感じている!」と・・・・・まぁ、まぁ、すんげえ良いひとときだったので~す!

さぁ、これから年賀の発送。そして、取り散らかっている部屋の荷の整理、掃除、洗濯、-“煤払い”は12月13日でしたよねぇ、28日が“餅つき”翌日に延ばすと「苦(九)をつく」といって嫌がられ、30日はお飾りです。小さい頃正月の準備をするオバァ(祖母)の着物の端を掴み、くっついて歩き手伝った事が懐かしく思い出されます。31日の除夜の鐘を聞き終り、1日になると自分も囲りもなにやら一変し、清々しく新しい自分に生まれ変わったような気分になるのですよねぇ!

さて、先日仏陀様のお言葉を見つけました。「雨の降るのも、風の吹くのも、花の咲くのも、葉の散るのも、すべて縁(えにし)によって生じ、縁(えにし)によって滅びるのである。この身は父母を縁(えにし)として生まれ、食物によって維持され、また、この心も経験と知識によって育ったもの。網の目が互いに繋がり合い網を作っているように、全てのものは繋がり合って出来ている。網の目は他の網の目と関わり合って一つの網の目と言われる。網の目は、夫々、他の網が成り立つ為に、役立っている。全ての存在が網の目のように関わり合って生かされ生きているのです。」
縁(えにし)と絆(きずな)は今、死後になろうとしているのでしょうか!?「カネとモノとスピード」これだけで人間が存在する貧しい心を餓鬼道というのだそうです。なんとか来年は、見えざる“縁(えにし)”と“絆”の摩訶不思議な「はたらき」をよっく見つめながら自分の生きている“時とき”を営んでいきたいものです】

という訳で~~す!では、今年も走ります。走る事にしました!自分の感性に“勢”をつけながら-。では、皆様またこの一年応援、ご支援をよろしくお願い申しま~す! よい一年にしましょうねぇ!

平成17年正月 香津代