チョットひとこと 第38話

皆々様お元気でございましょうか?

昨年はこの“チョット一言”が更新されていないと、友人知人から「みっともないヨ! 」とおしかりを受けましたが、今年になってからは誰からも“おしかり”なし・・・呆れてサジ投げられたのでしょうか?・・・だれか開けて下さった方、お便りくださ~~~い!

人生なんと短く、忙しいことでしょう! 今年になって回りの親しい方が次々亡くなり、その最後にもまに合って立会ました。この素晴らしい賢い臓器がこわれ、そして活動停止になる様子を悲しく、情けなく、はかない想いで胸に刻みました! ともかく自己管理!それしかないのですねえ!

神様が私にまだ生きる時間をくださり、6月20日に“感動!”をご褒美に下されましたあ! そうです! 昨年6月秋田市に開いた浅利香津代の日本舞踊教室『清香會』が1年目を迎え、第一回の浴衣会を催せたのです。第一部が香津代の朗読「東海林太郎物語~歌こそわが生涯~」、第二部がお弟子さん達の一年間一生懸命に勉強した成果を観て頂くおさらい会! いやあ、東海林太郎先生についてはバンフレットへ記載しましたものを読んでくださいね。・・・

「昨年秋田市制百二十年祭で、記録写真の間々に明治、大正、昭和を生き抜いた秋田出身の作家の作品を短く朗読しました。この時、諸先輩の秋田魂に触れ心が揺れたのです! そして第一回の『清香會』の朗読は太郎先生だとすぐ思いました。小学中学生の折々、太郎先生は駅前の我が家〝浅利旅館“に泊まりました。居間の囲炉裏に、丹前姿で座り、祖父の秋田なまりの話っこを聞きながら、祖母の漬けたガッコを食うのが好きでした。私もその折、頭を撫でてもらいました。太郎先生は、仕事は夜なのに、朝から発声をしていました。なんと先生のお眠りのお寺は、私が偶然決めた稽古場と同じ町内だったのです。”オモヘ~“。きっと太郎先生とじえねくて(淋しくて)私をよんだのかもしれねえす! 朗読のすき間に太郎先生の歌で踊るという夢もはたしてえす! 」

というわけです。朗読の最後に太郎先生の「むらさき小唄」を踊りました。太郎先生の歌は歌詞を掘り下げ、それを高らかにうたい上げる真直ぐで純な唄です。踊りをつけるなど不必要そして失礼な程美しいのです。そこへ挑戦しました。先生に添いながら出ずひっこまず、その世界にひたって振りを少なく想いを深め、緩急をつけるという難しい宿題を自分に課して・・・ どうした訳か?す―つと力まず踊れたのです。1週間前に太郎先生のお墓参りをしたからでしょうか?自分でもわからない3分間でした。ひたすら先生の歌に添うたのでしたあ。朗読だけに時間をとれず、スクリーンに実際の太郎先生の写真を箇所箇所に5~6枚入れながら35分程の作品に仕上げましたが、これからもっと、エピソードを入れ、踊りももう一曲入れ、歌も聴いていただきながら1時間ちょっとの作品にするつもりです。是非皆様のお力をお貸しください! 皆々様の町に「東海林太郎物語」をよんでくださ~~~い!  ご連絡心待ちにしておりま~~~す! 。

さて、おさらい会の方では5歳から9歳までのお子達を大人の作品の間々に入れました。会場中の拍手喝采を受けてました。忘れても間違っても笑いと拍手、なにをどう踊っても可愛いい! 袖で香津代は稽古よりしっかり踊り、お客様の眼の中におさまっている事を信じて、そして習ったことを懸命に追いかけているお子達に涙、、、涙! 大人のお弟子さんも、稽古よりよくできていました。大したものです! 生まれて初めて日本舞踊を踊った方、子育てが終わって20年、30年ぶりの方。いろいろな方々に、その人その人に合わせた宿題を香津代があたえ、それを真摯に受け止めてくれた熱心さ、誠実さが出ていて、これもまた、涙、、、涙。友情出演の名取級の友人三題の古典の作品もさえていました。そしてフィナーレには、秋田県大館市に生まれ育ち、東京で勉強し故郷に帰って民謡ロック歌手として活躍している佐藤真理子ちゃんが“お祝いだもの! 第一回だもの! ”と生出演! 私達は全員舞台で扇子を振りながらロックの“AKITA ONDO”を、会場後ろの扉から歌いながら出てきた真理子ちゃんを迎えました! お客さまも手拍子! 盛り上がりましたあ ! 老いも若きも一体となったフィナーレでしたあ! この日の想いが出演した皆んなの心にくっきり残り、来年の会につながるパワーとなって、筋トレ、ストレッチ、能トレの香津代の日舞の指導に励み、自分磨きにまた励んでくれることでしょう!

は~~い! 今日はこれにて・・・お元気で。そうそう最後にやっぱりお願いです。5歳より80歳まで性別を問わず日本舞踊のお稽古にぜひお出で下さ~~~い!  心よりお待ちしております!
(お申し込みはファックスで03-3378-7248まで! )

平成22年文月吉日 香津代